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生物ダイナミクス領域活動状況

アトラクター選択

細胞が環境に適応する際、その環境に特異的なシグナル伝達機構を持っていない場合でも細胞内の「揺らぎ」を利用して自発的に現状よりもより良い生存状態を探索することができる。本研究ではこのプロセスを「アトラクター選択」の原理として提唱し、実際に大腸菌を用いて実験的に実証するとともに、モデル化によって一般的なダイナミクスとして概念化し、ITネットワークの最適化などへの具体的な応用を目指している。

図1:アトラクター選択の概念

図1:アトラクター選択の概念。
(a)相互フィードバック抑制機構と表現型 の変化。(b)ゆらぎを利用した状態遷移モデル(例:緑から赤へ)。細胞活性と細胞 内タンパク質分子数が相関しているとすると、緑状態では細胞活性が低いとき、分子数 も減る(奥へ移動)。分子数が少ないと平均効果がなくなり、揺らぎの影響が大きくなる(細胞活性が高くなるサーチ幅が広がる)。細胞活性が高くなる状態(赤)に落ちると、そのまま細胞活性が高くなり、揺らぎの影響が小さくなるので、赤状態で安定する。結局、細胞活性が高い状態に自動的に落ち着く。

アトラクター摂動

生物の適応の機構を理解することを目的に、環境に変化を与えた場合に細胞内の遺伝子制御のネットワークがどのように応答するか、大腸菌を使った実験をもとにした解析を行っている。この実験により、ネットワークのアトラクターがもともと持っていた揺らぎの大きさと、アトラクターに与えられた外圧である「摂動」に対する適応の速さに相関があることがわかってきた。この「アトラクター摂動」の原理は物理学における揺動散逸定理を一般化したものと考えることができるが、この概念を応用することにより、より安定で、かつフレキシブルなネットワークの制御方法の確立に貢献すると期待される。

大腸菌の栄養遺伝子群

アトラクター選択の原理による細胞の適応の性質をより詳細に解析する実験を構築するため、我々は、大腸菌内に人工的な遺伝子ネットワークを組み込むことを試みている。

本年度は、栄養物質の欠乏の際に特異的に発現誘導を受ける数十種類の遺伝子を候補 遺伝子として、図2に示すような発現制御系に組み込んだ変異株の構築を行った。


図2:発現制御系
図2:候補遺伝子選定のための発現制御系。
ゲノム上にある候補遺伝子(geneX)を欠損させた変異株に、外来性プロモーター、GFPおよびgeneXを組み込む。誘導剤であるドキシサイクリンを加えると、レポーターであるGFPおよびgeneXの発現が誘導される。

人工細胞モデル

大腸菌はよく研究されたモデル生物であるが、未だ機能未知の遺伝子も多いため、機構の分からないブラックボックスが含まれるシステムである。そこで、「アトラクター摂動」の一般性、およびその起源を調べるために、全ての要素が既知である人工細胞モデルを使ってそのアトラクターの遷移を捉えることが必要だと考えている。

本年度は、このシステム内部の遺伝子発現量の分布をGFPをリポーターとしてフローサイトメーターを用いて測定することを試み,正確にGFP発現量の分布を測定することに成功した(図4)。また、リポソーム内の化学反応の定量的な文責のため、リポソームの体積分布の測定系の立ち上げを行った(図5)。

図4:人工細胞によるタンパク質合成

図4:人工細胞モデルにおけるGFP合成反応。

内部体積の大きさにより生成物の量の分布がきっちりとわかれている。
図5:人工細胞の体積分布
図5:人工細胞モデルに用いているリポソームの体積分布。
リポソームは複雑な内部構造を有しており、総体積と酵素反応が進行しうる内部体積が異なることがわかってきた。総体積は既知濃度の蛍光タンパク質を封入することにより測定した。内部体積はガラクトシダーゼと蛍光基質を封入し、全ての基質を分解した後の蛍光強度を測定することにより算出した。

高次元ネットワーク解析システムの最適化

細胞のゲノム全体にわたる網羅的な遺伝子発現の分析技術としてマイクロアレイを用いた解析システムが有望視されてきた。しかし、遺伝子間相互作用のネットワーク全体のダイナミクスを理解するには、より高精度、高感度な遺伝子発現の解析技術が必要とされている。

そこで本研究では、既存のマイクロアレイ技術を基盤にしつつ、実験条件の最適化とそれに基づく新たなマイクロアレイデバイスを開発し、さらに、二本の相補的な核酸が二重螺旋を形成(ハイブリダイゼーション)する素過程の詳細な物理化学モデルに基づいた解析アルゴリズムを開発するというハードとソフトの両面からの改良を行うことで、高精度・高感度な遺伝子発現の測定を可能とし、本プログラムが目指す研究に資する高次元遺伝子ネットワーク解析システムの構築を行ってきた。

本年度は、これまでの高精度・高感度発現解析システムの開発の成果を参考にしつつ、大腸菌の完全タイリングアレイの開発を行った。タイリングアレイとは図6に模式的に示したように、ゲノムの遺伝子配列に沿ってタイルを敷き詰めるようにプローブをデザインしたマイクロアレイである。このようなタイリングアレイを用いて高感度な遺伝子発現の解析データが得られることは「アトラクター摂動・重畳」の具体例の解析において必須であると考えられ、次節で述べる「異なる生物ネットワークのアトラクター重畳」の遺伝子ネットワーク解析においてもその有用性が示されている。

図6:タイリングアレイの設計
図6:タイリングアレイのプローブ設計。
それぞれの遺伝子について、通常のマイクロアレイでは11から20種のプローブが遺伝子領域にのみ設計されている。タイリングアレイでは一定の間隔でプローブが全領域に設計されている。
図7:クロスハイブリダイゼーションの評価
図7:クロスハイブリダイゼーションの評価。
X軸がバックグラウンドシグナルの予測値を、Y軸が実測値を表す。(a) 既存解析法による予測結果。(b) 新たに開発された解析法による予測結果。本解析法ではバックグラウンドシグナルが高いプローブでも予測の誤差が少ないことが分かる。

異なる生物ネットワークのアトラクター重畳

さらに、生物どうし協調してが新たな関係を構築する際の機構の一つとして、我々は「アトラクター選択」を発展させた「アトラクター重畳」という概念を提案してきた。異なる二種が共存する環境では、両者の相互作用によって新たな安定状態が作り出される「アトラクター重畳」が引き起こされていると予想される(図8)。このような背景のもと、我々は、複数の生物システムが、いかに新しい協調関係を生み出し「アトラクター重畳」を引き起こすのかを解明するために、現存する共生系の解析ではなく、これまで全く遭遇したことがない生物群からなる新規人工共生系を用いている。

アトラクター重畳の概念を具体化するために、我々は最も単純な人工共生系として図9aのような系を構築した。この系は遺伝子型の異なる2種の大腸菌変異株からなる系であり、それぞれロイシンとイソロイシンという成長に必須なアミノ酸の生産ができないように遺伝子が操作されている。そのため、これらの2種の大腸菌はそれぞれ単独では成長できないが、この両者を合わせて培養すると、互いにアミノ酸を補い合うことで協調して増殖できることが確認された(図9b)。この系について数理モデル(図9c)を作成し解析したところ、共培養の実験結果ではモデルの予測に比べて10倍程度増殖が速いことが示された。

このような大腸菌の変化は共培養時にしか見られないため、つまりそれぞれの細胞内の生化学反応ネットワークの融合が起こったと考えられ、結果として両者の適応にプラスとなる適応的な変化であった。このような系では上述した「アトラクター重畳」が起こっていることが示唆され、現在、先述した遺伝子ネットワーク解析手法を用いてこの協調的な変化における遺伝子ネットワークの変化の解析を始めている。

図8:アトラクター重畳の概念
図8:アトラクター重畳の概念図。
(a)アトラクター重畳の概念を考慮しない場合の、2つのネットワークの状態(1および2)に対するポテンシャルエネルギー。(b)ネットワークが融合したことによる、2つのネットワークの状態に対する活性の関数。(c)2つのネットワークが重畳し、アトラクター選択が起こることで新しい状態へ遷移する(アトラクター重畳)。
図9:人工共生系の構築
図9:遺伝子型の異なる2種の大腸菌からなる人工共生系。
(a)系を構成する2種の大腸菌株と利害関係。(b)共培養実験における2種菌体濃度ICR(●)、LKG(▲)、および単独培養から推定された共培養時の2種菌体濃度ICR predicted(○)、LKG predicted(△)。(c) この人工共生系の数理モデル。ICR、LKG、leuおよびileはそれぞれICR、LKG、ロイシンおよびイソロイシンの濃度。m、c、k、Kは各種速度係数または平衡定数。

平成20年度生物ダイナミクス領域活動報告(PDF版)